アドルフに告ぐでめぐる神戸の旅 本文へジャンプ
 

栄町通の路面電車

「アドルフに告ぐ」の(ワイド版第3巻P256、文庫版第4巻P50)をご覧ください。一番上のコマに昭和16年5月とあり、道路を産業報国青年隊が行進していて、その下に小学生が歌を歌いながら歩いています。
今回この道路に注目したいのですが、産業報国青年隊の行進の様子について、手塚先生が恐らくこの絵のモデルにしたと思われる写真が(外部リンク)「立命館大学国際平和ミュージアム」のホームページで公開されておりますのでまずはそちらを紹介します。

外部リンク
国際平和ミュージアム「梅本忠男写真集」No.123産業報国青年隊の行進

産業報国青年隊ののぼりのマークが全く同じです。また、左手に路面電車が写っている構図もほぼ同じですので、恐らくこの写真を参考に描かれたのではないかと思います。
しかしこの写真、場所は東京です。うしろに戦後GHQが本部とした第一生命ビルが写っていますので、皇居の堀のすぐ横の道です。
神戸の絵にするにはどうしたらよいか?恐らく行進だけは写真を参考にし、背景を神戸にするという発想となるのが自然でしょう。実際このコマの背景は写真とは建物の立つ方角など違います。
ではどこをイメージして描かれたのか?手がかりは産業報国青年隊ののぼりにありましたのでご注目ください。のぼりの左上部に「東町」と読み取ることができます。恐らく字柄から考えて「栄町」をイメージしたのではないでしょうか?栄町通ならば広い道で重厚な建物があり、路面電車が走っているというシチュエーションを全て満たします。そこで今回は栄町通と路面電車に注目したいと思います。

栄町通

神戸栄町通
「神戸栄町通」
戦前の栄町通です。重厚な建物が建ち並び手塚先生が描いた背景にかなり近いと思います。左の重厚な建物は1915年(大正5年)建築の元第一勧業銀行神戸支店です。戦争にも耐えて残っておりましたが1995年の阪神淡路大震災で被災し、残念ながら今は無くなってしまいました。

ライオンズタワー神戸元町
現在の同じ場所です。何やら昔と似たような建物が建っておりますが、実はこれ2009年にできた「ライオンズタワー神戸元町」という33階建てのタワーマンションです。下部分を昔の建物を参考にして建築されたそうです。しかし左右の2階ベランダなどはとても似ていますが、柱が三本しかないのが残念です。恐らく敷地面積のバランスでこうなったのでしょう。

ライオンズタワー神戸元町
上部は一般的なタワーマンションと同じような印象です。

神戸栄町通
「神戸栄町通」
別の絵葉書です。栄町通に路面電車が走っています。この絵葉書では路面電車が茶色ですが、昭和に入ると路面電車の色は緑色になります。

みなと元町駅
同じ場所です。右のビルの低層部分がやや昔の建物の雰囲気に近いです。路面電車は無くなってしまいましたが、この地下に神戸市営地下鉄の海岸線が通っております。左手の建物に海岸線の駅の一つ「みなと元町駅」の出入り口があります。

みなと元町駅
こちらの建物も「みなと元町駅」の西側の出入り口です。東京駅などで有名な辰野金吾が設計した、1908年(明治41年)建築の元第一銀行神戸支店でしたが、こちらも1995年の震災で被災し、外壁のみを保存して駅の出入り口に活用されています。

みなと元町駅のうしろ
うしろから見ると、残念ながら建物外壁を支える支柱の中は駐車場となっています。

神戸市電

神戸市電の車両
当時も走っていた神戸市電です。緑色をベースとしたツートンカラーです。

神戸市電の車両
行き先表示は「楠公前」となってます。これは神戸市東灘区の小寄公園に保存されている車両です。この公園にはこちらの他にも蒸気機関車などの保存車両が存在します。

神戸市営交通のマーク
現在と同じ神戸市の市章が、電気のイメージで囲まれています。このマークは現在でも神戸市営地下鉄や神戸市営バスに使われています。

ではこの神戸の象徴である緑色ですが、いつごろに緑色になったのでしょうか?資料よりその時期を調べてみました。
『初めてそれを見た人たちは口をそろえて驚嘆した。くすんだ、これまでのこげ茶色が、突然太陽に萌える、いきいきとした芝生のような”みどり”。まだどこの都市でも電車は茶色と決まっていた。それが神戸だけは、みどりの美しい姿になった。そして爽やかな印象を見る人に残しながら走り始めた。それまでの色彩というものに不感症だった電車づくりだったが、この”みどり”の出現で様相を変えた。それどころか町全体が、明るく輝いた。
”みどり”の誕生は、古林さんの市電づくりがより円熟味を増した、ずっとのちの昭和八年のことであった。
”みどり”の根源。一説には須磨浦海岸の松と六甲山のみどり、と言われもしたが、古林さん以外、だれもその真相は知るよしもなかった。』
(神戸新聞社編『神戸市電物語 復刻版』神戸新聞総合出版センター, 2009.P74)
昭和八年(1933年)とありますので、「アドルフに告ぐ」の舞台ではすでにこの緑色の市電が走っていたでしょう。手塚先生も利用したかもしれませんね。
すぐにこのツートンカラーになった様ですが、初登場時は緑一色だったそうです。それはさすがに当時の人々は驚いたと思います。

戦前の神戸市電
(神戸名勝)『神戸ビルの偉観』
戦前のカラー絵葉書にもツートンカラーの神戸市電が写っていました。ここは現在のフラワーロードの市役所付近です。道の奥に神戸そごうと現在のJRの高架がかすかに写っているのが確認できます。こうして見ると六甲山系や街路樹の緑と市電の緑のコントラストが、とてもバランスがよく美しいのがわかります。

戦前の神戸市電
(神戸名勝)『街頭の美観大丸付近』
現在のトアロード側大丸前の市電乗り場です。ツートンカラーの市電が3台も写っています。

戦前の神戸市電
(神戸名勝)『多聞通』
多聞通に写るツートンカラーの緑の市電。市電も緑色ならば、鈴蘭灯も緑色です。
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