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絹子はどこで死んでいたか?

さて「アドルフに告ぐ」でめぐる神戸の旅ですが、特集第一弾「絹子はどこで死んでいたか?」です。
「絹子」は有馬温泉の芸者という設定で、登場するやいきなり死んでいます。その事件現場を探そうという企画ですが、実は第1巻に住所が記入されています。
『兵庫県川辺郡小浜村の俗に御殿山と呼ばれている山林の中で死後三日たった女の絞殺死体が発見された事件の記憶である』
手塚治虫『アドルフに告ぐ』第一巻,P21,新潮社, 1985.
まずは住所から探していきましょう。
川辺郡は現在も兵庫県に存在する郡部です。となるとそこに小浜村はあるのでしょうか?調べてみた結果現在の川辺郡に小浜村はありませんでした。
現在の地名とは違うのでしょうか?そこで昔の地図を紐解いてみました。

大正8年兵庫県地図
大正8年発行の兵庫県地図より。

昭和31年兵庫県地図
昭和31年発行の中学社会科地図より。

やや見にくいですが大正時代と戦後の地図を見比べると、郡部の違いは明らかです。大まかに言うと神戸市の灘区、東灘区、芦屋市、西宮市、宝塚市南部、尼崎市西部が大正時代では武庫郡にあたり、尼崎市、伊丹市、川西市、宝塚市が川辺郡に入るようです。昔の住所はかなり違いますね。
ところで兵庫県警察本部の米山課長のせりふに出てくる、「有馬」「武田尾」「宝塚」の三つの場所について昭和31年の地図を見ると、三つとも赤い温泉地図記号が並んでいるのが確認できますね。これら三つは現在でも温泉があります。
では昔の川辺郡で小浜村を探してみましょう。

大正8年有馬宝塚地図
大正8年発行兵庫県地図より。

ありました!当時の地図で字が左右反対ですが「浜小」とあります。宝塚の少し東で中山寺の南ですね。ここは現在の宝塚市の一部になります。
また状況証拠に関しても確認ができます。米山課長がカウフマン邸へ由季江を訪ねに行ったときの話について。
『温泉客が偶然とった写真…見つけるのに苦労しましたよ。ご主人は事件当日絹子と旧有馬街道を東へ向かわれた。犯行のあった山林の方向へです』
手塚治虫『アドルフに告ぐ』第一巻,P171,新潮社, 1985.
確かに地図からはっきりとします。有馬温泉から宝塚方面への有馬街道への移動。東へ向かうと小浜村へたどり着きます。また、その後小城先生とアドルフ・カミルの二人が有馬からタクシーで向かいますが『ちょっと遠い』と言われたのも解ります。
では御殿山とよばれている場所はどこか?

Google mapsより

大きな地図で見る

今もありますね。御殿山中学校もあるようです。現在の宝塚市、宝塚駅北東部のあたりになるようです。
しかし宝塚の御殿山…。川辺郡小浜村に気をとられていましたが、ここは手塚治虫先生の地元ですね。手塚治虫記念館ではっきりと『私は宝塚の御殿山で育ちました』といった内容の記述がありました。
手塚先生…昔の自分の家の住所を使ったのですか?

結論

絹子は手塚先生が子供の頃に虫取りをしていた山林で殺されている!
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